2008年03月04日

●「書く」にまつわる勝手な解釈

この間、久しぶりにペンでA41枚程度文字を書いた。

というか数年ぶりかな?っていうぐらいペンで文章を書くということをしておらず、
基本的にはキーボード。または、ケータイのテンキーで文字を書いていた。

これがすっご~~~~く 大変な作業っていうこと改めて認識しちゃったわけです。

大体ここ数年文字を書くという作業は、オンタイム、オフタイムともにキーボードが大半。
だから漢字は書けなくなるわ、誤植したらデリートキーじゃなかった修正ペン使うとかで
どうしてこんなに大変なんだろうと思ったということはあまり関係無いのだが、

書くということってすごく生活の根幹にかかわるくらい大事なんだなと思った。

自己啓発系の本ってあるじゃないですか。
「頭のよくなる本」とか、「成功のひけつ」的なもの。
よくもまぁたくさんの本がでては消えていくんだけど結局のところ
その解答は、「書く」ということじゃなかろうか。

「脳内イメージを書く」という行為がそのすべての根底にあるのではと思うわけです。

たとえば、イメージツリーとかは、思考の整理をわかりやすく、木というイメージで具現化する。
でも、必ずしも木である必要はなく、似たようなもの、たとえば、蟻の巣でもモグラの巣でもいいでしょ。
書くから描くかもしれませんが。

なんとか整理法だって、結局はフレームにそって、タスクを整理して書くということではないだろうか。

「書く」は文字による相手へのコミュニケーションだけではなく、
自分との会話をするためのコミュニケーション行動なんだと思う。

思っていることを、文章にして書いたり、絵図にしたりいろいろな手法を使って・・・・

仕事もそうかもしれないけど、プライベートな悩みでも、何でも紙に落として書くという行為は、
ひょっとしたら人に何かを相談したときにハっとする瞬間があるのと同様に、
頭だけを使って悩んでいるよりも自分でそれを書き出してみることにより、自分自身との会話の中から
案外解決策が見つかってくるんじゃないかな。

前にも書いたけど口頭でのコミュニケーションははっきりって自分の思いがまるで伝わらないときがある。
逆に伝えたい思いを書いた紙をたよりに口頭でフォローした方がより相手に伝わるし、ブレが無い。

心がモヤっとしたときに周りの人に相談する気軽な感じで自分自身に相談する、つまり自分自身に向けて
書いてみるという行為は意外と忘れている気がするので自分も含めて何かに悩んだらやってみることにしたい。

とりあえず家を購入するべく、自分の好きな間取り図とか貯金計画とか書いてみようかな(笑)

Posted by red-apple at 15:26 | Comments [1] | Trackbacks [0]

2008年02月26日

●デザインという意味の深さ。

警察庁、30年ぶり教則改正 自転車3人乗り禁止 春からはルール徹底

前々から危険だっていう話はよく聞いてたんだけど、ルール徹底化されるんですね。罰則もありか・・・
タイトルの「デザイン」とママちゃりのニュース何が関係しているのかと思ったかというと、「都市デザイン」。

別にママちゃり3人乗りと深く関係しているわけではないんだけど、
ふと昨年の北欧旅行を思い出した。

昨年北欧に行ったときに工芸博物館しかり、ルイジアナ美術館しかり興味歓喜しまくりなんだけど
その中でもコペンハーゲンの市内の道路整備。
「車道」「歩道」の間にちゃ~んと「自転車道」がある。自転車は基本的に、自動車と同じ信号に準じて走行するんだけど
これがみんなし~っかり守っているんだよね。自転車道を歩行者があるこうものなら、ベル鳴らされまくりで
まるでクルマに引かれちゃう!くらい(言いすぎかもだけど)しっかりと徹底されている。

しかも、通勤に自転車を使う人も多く、みんなシャレオツな自転車に颯爽と乗っているわけで
海外旅行特有の隣の芝が青く見えることを差し引いてもかっこいいし、参考になる。

これって何が違うんでしょう?日本のそれと。
国土の広い、狭い?文化?歴史?

自転車は知らないけど、自動車文化は、欧州のほうが確かに秀でている部分が多くあると思うし
日本車と欧州車では同じクルマだけどどうしてあんなに違うのか?と思うのは決して欧州に対しての憧れだけでは
なさそうだ。

プロダクトや都市デザインというアウトプットの根底に流れる何かが違うのか?

実はその根底に流れるDNA的なものはきっと都市デザインには大きく関係してるだと思う。

もちろん、昔ながらの雰囲気や文化を踏襲した街もあるんだろうけど、東京ってちょっとそういうトコロが
足りない気がする。太平洋戦争の焼け野原から立ち直る時に問題があったの?
それともそういう民族だから?

一説によると
東京の首都高は、

なお首都高速道路が湾岸線を除き片側2車線である理由についてだが、当初日本政府は東京オリンピックに向けて3車線での建設を計画していたが、建設資金を世界銀行から融資を受ける際に「第二次世界大戦の敗戦国がそのような道路を作る必要はない」という理由で減額されたために現状の姿になった、と宮沢喜一(当時大蔵省官僚)が回顧している。(ウィキペディアより)

だって。さらに別の説では、同様に日本が今のような自動車大国になることは敗戦直後まったく想定しておらず、
(確か当時の東大かどっかの教授のデザインなんだよね・・・たしか)今のようなデザインになったとか。

目先のルールだけじゃなくて
いずれにせよ、先を見越した目でいろいろな物事考えなくちゃいけませんなぁ。

Posted by red-apple at 18:35 | Comments [3] | Trackbacks [0]

2008年02月13日

●マッシュアップをゆるく考える。


昨年、おととしくらいから、ネット業界ではマッシュアップというワードが
登場しはじめたんだけど、今はある程度一般化してきたのかな?

IT用語辞典にもちゃんと記載されている。


---
マッシュアップとは、IT用語としては、
複数の異なる提供元の技術やコンテンツを複合させて新しいサービスを形作ることである。
複数のAPIを組み合わせて形成された、
あたかもひとつのWebサービスであるかのような機能が、
マッシュアップと呼ばれている。

「マッシュアップ」(MashUp)とは「混ぜ合わせる」というほどの意味である。もともとは音楽関係の業界でよく用いられてきた。
まったく何もない状態から創造するのではないが、
すでに在るものを用いて再び新しいものを創生する、というニュアンスがある。
リミックス曲などがマッシュアップに相当する。

マッシュアップは以前に比べても非常に盛んになりつつある。
その背景としては、Amazon、Google、はてな、といった企業が、
自社のWebサービスの機能をAPIとして無償で提供するケースが増えてきている点が挙げられる。
それに伴って、APIを利用して(多くは腕試しのために)
複合的なWebサービスを開発するユーザーも増えている、というわけである。

マッシュアップとして生み出されるWebサービスの内容は様々で、
地図の表示と郵便番号データを対応させるものから、
あるキーワードについて議論しているブログとショッピングサイトの関連製品を同時に表示させるものまで様々である。
ユニークなものでは、自分や他人がファーストキスをした記念の場所とエピソードを登録・閲覧することのできる
「Where I Had My First Kiss」や、デートスポットにまつわるクチコミ情報やケータイ画像を地図上から検索することができる「デート通.jp」などがある。
-------

技術的な側面によるマッシュアップがきっと王道なんだろうけど、
コンテンツの側面でもマッシュアップが熱い。ごめん、コンテンツというよりも
パロディのマッシュアップと言った方がピンとくる。というかきた。

以下事例によってマッシュアップの変遷をたどる。

■恋のマイアヒ■

何語かまったくわからないが、ただ耳には残り、今でもメロディーは頭を駆け巡り、
着うたのダウンロードNo1の栄光をもつ「恋のマイアヒ」。

http://jp.youtube.com/watch?v=j_PHT1m8cg0

まだ駆け出しのyoutubeが爆発的に認知されたといっても大げさでない(と思っているのは俺だけ?)

このフラッシュアニメは、ある1人による作品でそれをみんなで盛り上がるというスタイルで、
今でいうところのマッシュアップの駆け出しと位置づける。
(1つの音源を新しい切り口で楽しむという点で)

■ウマウマ

昨今においては、というか今日知ったんだけど、この流れでウマウマがはやっているとのこと。
スウェーデンのアーティストcaramellのcaramelldansenは、
ニコニコ動画において、空耳という新しいアプローチ意外に、個人が勝手に様々な表現で
この音源を活用している。
恋のマイアヒと比較してみると、、
<1つの音源×空耳×表現手法×ユーザーの勝手なコメント>
という掛け算でマッシュアップされたコンテンツが楽しめるというスタイル。

以上から推測するに、
ヒットを作り出す仕掛けのカギがあるように思えるし、
見て、参加して楽しむ仕組みを提供することがムーブメントを作るカギになるのかもしれない。
決してステルスマーケティングやアフィリエイトブログの提灯記事の展開という
方法ではなくて、違法か合法かという議論は一度横にそらして(そらしちゃだめだけど)

仕掛け方をユーザー自身にゆだねるというアプローチもチャレンジしてみる価値はありそうだし、
極論になっちゃうけど企業とユーザーの商品プロモーションのマッシュアップという
仕組みが危険だけどものすごい力を秘めているように思えてならない。

本来であれば、もっと地球規模で解決しなきゃいけない重要な問題なんかを
インターネットにつながっている全人類がそれぞれ本気で知恵を絞って
最高かつ最大の解決策を見つけていくという姿が美しい姿になっていくんだろけど・・・・

上記の事例からまったく説得力ないな・・・

Posted by red-apple at 19:33 | Comments [0] | Trackbacks [0]

●マッシュアップをゆるく考える。


昨年、おととしくらいから、ネット業界ではマッシュアップというワードが
登場しはじめたんだけど、今はある程度一般化してきたのかな?

IT用語辞典にもちゃんと記載されている。


---
マッシュアップとは、IT用語としては、
複数の異なる提供元の技術やコンテンツを複合させて新しいサービスを形作ることである。
複数のAPIを組み合わせて形成された、
あたかもひとつのWebサービスであるかのような機能が、
マッシュアップと呼ばれている。

「マッシュアップ」(MashUp)とは「混ぜ合わせる」というほどの意味である。もともとは音楽関係の業界でよく用いられてきた。
まったく何もない状態から創造するのではないが、
すでに在るものを用いて再び新しいものを創生する、というニュアンスがある。
リミックス曲などがマッシュアップに相当する。

マッシュアップは以前に比べても非常に盛んになりつつある。
その背景としては、Amazon、Google、はてな、といった企業が、
自社のWebサービスの機能をAPIとして無償で提供するケースが増えてきている点が挙げられる。
それに伴って、APIを利用して(多くは腕試しのために)
複合的なWebサービスを開発するユーザーも増えている、というわけである。

マッシュアップとして生み出されるWebサービスの内容は様々で、
地図の表示と郵便番号データを対応させるものから、
あるキーワードについて議論しているブログとショッピングサイトの関連製品を同時に表示させるものまで様々である。
ユニークなものでは、自分や他人がファーストキスをした記念の場所とエピソードを登録・閲覧することのできる
「Where I Had My First Kiss」や、デートスポットにまつわるクチコミ情報やケータイ画像を地図上から検索することができる「デート通.jp」などがある。
-------

技術的な側面によるマッシュアップがきっと王道なんだろうけど、
コンテンツの側面でもマッシュアップが熱い。ごめん、コンテンツというよりも
パロディのマッシュアップと言った方がピンとくる。というかきた。

以下事例によってマッシュアップの変遷をたどる。

■恋のマイアヒ■

何語かまったくわからないが、ただ耳には残り、今でもメロディーは頭を駆け巡り、
着うたのダウンロードNo1の栄光をもつ「恋のマイアヒ」。

http://jp.youtube.com/watch?v=j_PHT1m8cg0

まだ駆け出しのyoutubeが爆発的に認知されたといっても大げさでない(と思っているのは俺だけ?)

このフラッシュアニメは、ある1人による作品でそれをみんなで盛り上がるというスタイルで、
今でいうところのマッシュアップの駆け出しと位置づける。
(1つの音源を新しい切り口で楽しむという点で)

■ウマウマ

昨今においては、というか今日知ったんだけど、この流れでウマウマがはやっているとのこと。
スウェーデンのアーティストcaramellのcaramelldansenは、
ニコニコ動画において、空耳という新しいアプローチ意外に、個人が勝手に様々な表現で
この音源を活用している。
恋のマイアヒと比較してみると、、
<1つの音源×空耳×表現手法×ユーザーの勝手なコメント>
という掛け算でマッシュアップされたコンテンツが楽しめるというスタイル。

以上から推測するに、
ヒットを作り出す仕掛けのカギがあるように思えるし、
見て、参加して楽しむ仕組みを提供することがムーブメントを作るカギになるのかもしれない。
決してステルスマーケティングやアフィリエイトブログの提灯記事の展開という
方法ではなくて、違法か合法かという議論は一度横にそらして(そらしちゃだめだけど)

仕掛け方をユーザー自身にゆだねるというアプローチもチャレンジしてみる価値はありそうだし、
極論になっちゃうけど企業とユーザーの商品プロモーションのマッシュアップという
仕組みが危険だけどものすごい力を秘めているように思えてならない。

本来であれば、もっと地球規模で解決しなきゃいけない重要な問題なんかを
インターネットにつながっている全人類がそれぞれ本気で知恵を絞って
最高かつ最大の解決策を見つけていくという姿が美しい姿になっていくんだろけど・・・・

上記の事例からまったく説得力ないな・・・

Posted by red-apple at 19:33 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2008年02月08日

●もうひとつの資源。

地球という物理的な空間に住んでいる以上資源枯渇は付きまとう問題なの?

いきなり、慣れないことを書いてはみたが、この後に続く内容はすでに僕の頭のキャパを
大きく超えて遥かかなたに飛んでいってしまうのでなんの話かというと
インターネット上のデータの問題。

インターネットが一般的というか生活に欠かせない存在になったのは、つい最近かもしれないけど
僕の覚えている範囲では大学に入学したころにはすでに存在していた。

だから、もう10年以上経っている。
そう、この十数年で世界中のサーバーには、無茶苦茶な量のデータが存在する。

しかも、それらは、どっかの図書館とか行かないと接続できないというシロモノではなく、
ブラウザー開き、検索キーワードを入れればひっぱってこれるという優れものだ。

自宅でも会社でも、デート中でもトイレの中でも場所と時間は選ばない。
※とあるデータは、現在僕らが生きている時代は、10年前と比較すると1日の接触する情報量は
なんと400倍というデータがあるそうです。

でも、検索っていうのはコンテクストの一部の切り取り、つまり点の切り取りにしか過ぎない。

ご飯を食べる店を探す、乗り換え、見たい映像、音楽などなどすべて点での行動によるもの。

たとえば
・病気になったする。病院を検索し、自分の生活範囲の中で自分にあった病院を探す。
・薬をもらった。昔はこの薬がなんの薬かよくわからなかったけど今はそれぞれの薬の効能などが
 書いてある紙ももらえるし、検索すれば薬のデータベースがでてくる。
・ SNSで同じ病気の人を探し、情報をシェアし、助け合いも可能。


点の切り取りで別に何か不自由することはないんだろうけど、
人は、生活という線の中で生きている訳で、線のつながりが何か新しい発見をもたらしてくれはしないのだろうか。

もし、人が人生の大半をデータ化していたら、
それは点から線というコンテクストに切り替わる。コンテクストは点で何かではなく、線での何かを
見つけてくれる。

たとえば、
病気になった。というか、なる前からこの病気になる人は、こういう食生活を送っている人が
なりやすいということがかなりリアルにわかってくるし、
この病気に対していくつか治療法があるんだけど、どの治療法を施した人が完治したのか
ということが医者だけじゃなくて僕らも簡単に把握できるような世界。


10年後のネットの世界ってこの資源をどう有効活用するかが1つのカギになることは間違いと
思うし、そうなって欲しい。
情報を受け取る環境は平等であり、その先を突き抜けるパワーが人間には大事だっていうことが
よりはっきりしてくるのかもしれない。

おちまい。

Posted by red-apple at 16:16 | Comments [2] | Trackbacks [0]

2007年10月10日

●もう一回スタートから。

今すごく悩んでいる。
悩んでいるだけでは前に進まないので、考えている。
すごく苦しい。大変。逃げたい。

実は、前々からその悩みは持っていたんだけど、20代はとにかくそんなことは
考えず、仕事を中心に自分自身を考えてきた。別に働きマンになりたい訳じゃくて
とにかく自分に知識や技術を身につけたかったから。
会社にたよらずに生きて行きたいからとにかく役に立つものの全てを身に付けて行こうと。

でも30代になったとたん、何か拍子抜けした。

なぜかっていうと、意外にも自分と向き合って「考えること」をしてこなかったから。
借り物の言葉じゃなくって、誰かにアドバイスしてもらった言葉じゃなくて
自分でひねり出した言葉が無いと言うことに気が付いた。

だから今すごく悩んでいる。
30歳過ぎてやっとここまで自分の真ん中で感じ取ることができた。
今はまだ感じ取るということが精一杯だけど、なんとか悩みぬいて、自分で考えて行こうと思う。

すでに結婚もしているにもかかわらず、家族に迷惑もかけてしまうかもしれない。
でもきっと自分の生きるうえでは避けて通ることができないと思う。

自分にうそついて騙しながら進んでいくのって嫌じゃない。

だからこれから悩みに悩み、考えに考えて何か見つけて行きたいがために
宣言の意味も含めてスタートしなおします!

まあポジティブに考えて、このタイミングに気がつけたことだけでも良しとしたいね。

Posted by red-wave at 22:36 | Comments [3] | Trackbacks [0]

2006年04月11日

●Blogとは

Life Log Projectを実施するにあたってブログについて、考えてみた。
(考えてみたってほど大げさではなくて、通勤途中に売店で買ったモーニングを読みながらなんだけど)

「Blogとは」をGoogleなどで検索するとIT用語辞典などでの解説がヒットする。

個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。

 また、CMS(コンテンツマネジメントシステム)としての側面を重視し、時系列にページの自動生成する機能や他のサイトの記事との連携機能(トラックバック)、コメント機能などを備えたブログシステムで運営されているものはすべてブログだとする立場もある。

日記的なWEBサイトの総称。
確かにその通り。自分でやっと「日記的」な意味を解釈できた。
ブログとは、その個人の情報や知識、行動を体系化してデータ化できること。
つまり、その個人にひもづいた情報の全てを体系化して「ログ」として蓄積することができるというように
解釈できた。つまり、日常生活行動や経験、思想、得た情報など全てをデータ化し、体系化&検索が可能となり
それを必要とする第3三者に共有することができる仕組みがブログであると思う。

個に蓄積される情報がオープンソース化されたら何かまた新しいフェーズに人類が入っていくんじゃない?!
そんな大げさじゃないかもしれないが、50年後生きていたらリアル歴史の教科書になるよね。

Posted by red-apple at 00:51 | Comments [0] | Trackbacks [0]